関さんのシャツ作りは1976年、旧小郡町のごみ焼却炉見学にはじまります。焼却炉前に山積みしてある布団を見て「燃やす以外に方法はないのだろうか ?」と思われたそうです。そんな折、目にとまったのが『戦争中の記憶』の中にあった「布団をほぐして靴下を編んで、戦地の息子に送った」という記事。最初は「布団わたからどうやって靴下を編むのだろう」と不思議でしたが、1983年、「わた畑の見学と糸を紡ぐ講習会」に参加し、今まで抱えておられた問いが、もつれた糸をほどくように解けていったそうです。
関さんが嫁がれるときお母様が準備された布団、その布団わたを取り出し、身近な植物で染め、糸車で紡ぎ、糸を機にかけて布を織り、その布でシャツを作る…そうして出来上がった80枚のシャツは、すべてお嬢さんのために作られたものです。
関さんのお母様が関さんのために作られた布団、その布団わたはお嬢さんのシャツに生まれ変わり、お嬢さんはそのことを絵本にされました。それが『こっちゃんといとぐるま』です。この本には親子三代、いやそれ以上長い間伝えられ続けてきた「手間ひまかけながら生活を楽しむ」姿が描かれているように思います。
会場には仕立てあがったシャツ、染められたわた、紡がれた糸、子どもさんたちの手袋と帽子、絵本のこっちゃんをイメージして生まれたこっちゃん人形、そしてお嬢さんが絵本を作るきっかけとなった「世界名作童話集」(講談社、1957年刊)の一冊等が展示されました。一つ一つの「もの」たちは、語り尽くせぬ「おはなし」を抱いてそこにあるように思えました。
「子どもたちに、大人が大切にしてきたものや考え方をしっかり伝えていかなくてはいけない。そのためには子どもたちにしっかり本を読んでほしいし、本物を見て育ってほしい。そこへ導くのは親の役目。」という言葉が忘れられません。
文/中村佳恵 |