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朝日新聞 2012年3月26日(月) 山口
古布団 シャツ200枚に再生
山口の関さん 綿から糸紡ぎ製作
「持ち物自分で使い切る」 |
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山口市の主婦関ヨシミさん(77)が、押し入れに眠っていた古い布団の綿から糸を紡ぎ、シャツを作り続けて20年になる。これまでに86種類、200枚以上を手がけた。東京23区だけで年間62万枚が捨てられているという布団。「自分の持ち物は自分で使い切る」とリサイクルに取り組む。
関さんは東京生まれで、教員生活を経て、夫の就職に伴い、51年前に山口に移り住んだ。
36年前、見学したゴミ集積場で山積みされた布団を見てショックを受けた。娘が小学生になり、母親たちと、給食の食器をせっけんで洗うように訴える運動を進めていた頃で、環境問題に関心があった。
その後、講習会で、収穫した綿から糸を紡ぐ技術を習ったのをきっかけに、布団綿から服を作ることを思いついた。最初は「うどんのように」太い糸しか紡げなかったが、何度も挑戦し、56歳で初めて布団綿からシャツを完成させた。
庭のビワの葉やドクダミなどで布団綿を染め、糸を紡ぎ、横糸として使って長さ11メートル、幅90センチの布を織る。裁断してシャツ3枚を縫うまでに半年はかかる。亡き母が嫁入りに持たせてくれた16枚の布団を使っている。
仕上げたシャツは娘の己珠恵さん(42)が着る。糸紡ぎや機織りの技術も、己珠恵さんは見よう見まねで身につけた。関さんが母からもらった布団でシャツを作り、それを娘も引き継ぐ。親子3代のリレーが亡き母への孝行だとも思っている。
山口市の郊外で暮らす関さんは、環境に配慮した生活スタイルを通している。古着をほぐして服を作り直し、庭で野菜を育て、豆腐やパン、みそは自家製。買い物袋は骨が折れた傘の布で作った。自分で作れるものは買わない。母から受け継いだ生き方だ。
「現代は身の回りのものに対する愛着がなくなっている。物を大事にすることはあらゆる生命の愛おしみにつながり、心豊かな生活を送ることができる」
関さんの生活ぶりは自身のホームページ(http://www.8011.jp/ysm/index.html)で紹介している。 |
(垣花昌弘) |
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主婦の友社「ゆうゆう」2011年1月号
(2010年12月1日発売)
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9ページにわたり取材されました。詳しくはこちら
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2009年8月2日(日)
山口市立図書館友の会トネリコ わくわく講座
「ふとんわたから絵本が生まれた−暮らしの知恵を次世代へ−」 |

講座の模様 |
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2008年10月16日(木) NHK山口 ゆうゆうワイド
2008年10月17日(金) NHK山口 おはよう山口
で、紹介されました。 詳しくはこちらをご覧ください
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2008年10月9日 (木) 朝日新聞
生活 ひととき
布団綿
染織家 関 ヨシミ (山口市 73歳) |
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秋風が吹く季節になると、6畳間に広げられた布団の綿を思い出します。 「寒くならないうちに、冬布団の支度を終わらせなくちゃね」。肩に真綿をのせた母の姿と一緒にです。
1950年代、日本がまだ貧しかったころのことです。暖房も十分でなく、冬の寒さをしのぐには綿のたっぷり入った厚い大きな布団が必要でした。夏の間に布団の綿を包んだ布を洗い、くたびれた綿を打ち直しに出し、お彼岸も過ぎると綿づくりを始めました。
子どもたちはみんな、大喜びで手伝いました。生まれ変わった綿をそっと重ねたり、入りきらない部分をちぎったりして詰めていきます。一日がかりの仕事で、その日のおやつは朝に作っておいた大きな梅干しおむすびでした。
それから50年。どの家も暖房がきいて、冬でも薄くて軽い羽根布団で十分。かつては打ち直して使ってきたのに、重たい綿布団は押し入れの中で眠り続け、古くなると捨てられてしまいます。
そんな布団の綿を染めて紡ぎ、機にかけて布を織り、シャツにするようになって約20年。これまで80枚のシャツを仕立ててきました。今年の夏も、約50年前に私が嫁ぐときに持ってきた客布団3枚を打ち直しに出しました。ふわふわになった綿は、娘の春物のシャツに生まれ変わります。 |
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市報やまぐち
2008年10月1日 No.72 |
「使わなくなった綿布団をごみにしたくない」と、今まで布団の古綿から仕立て直したシャツはなんと79枚。日々、資源物の再生利用に取り組み「物を大事にする心」を伝えている関ヨシミさんにお話を聞きました。
●シャツ作りのきっかけは ?
32年前、旧小郡町の焼却炉の前で山積みになっている、私の家にもあるような新品同様の布団を目にし、燃やしてしまうより仕方がないのか、と頭を抱えました。そんな折、戦争中の記録に、布団の綿で靴下を編んだ話があり「綿から靴下」になるのならば「綿から糸」にもなるはずだと気が付きました。それからは、綿畑を見学し糸紡ぎを実習、機織を身に付け、娘にすてきなシャツを着せようと布団綿の再生が始まりました。あれから20年、現在80枚目を織っています。
●綿が、どのようにシャツになるのですか ?
まず布団の綿を取り出して染め、糸車で糸を紡ぎます。その糸を織機にかけ、シャツを仕立てます。すべて手作業のため、1年に多くても3枚出来上がるかどうかです。中でも、昔の布団の綿は、国産で無農薬の良質な綿が多く、ごみとはとても考えられません。しかもボロボロになったシャツは、ふきんやぞうきんとして、とことん使えます。洗っても丈夫、素材が安全、そして何より生活で使えるものに美しく生まれ変わらせることで、ごみを減らすことができるのがいいですね。
●全国からの反響も大きいそうですね。
染織の専門誌にこの取り組みが掲載され、テレビ局や新聞社の取材がたくさんありました。おかげで、福岡県で講演や作品の展示を行いました。また全国から手紙やファックス、ときには布団の綿を再生した作品も届きます。娘は絵本、息子はホームページで作品を紹介してくれるなど、家族の応援が励みになります。こうして、みんなが「物を大事にする心」でつながっていることが、何よりうれしいです。
●これからの願いは ?
良い材料はお金を出して買わなくても、実は身の回りにたくさんあります。布団の古綿もその一つ。例えば、地域の人が集まる場所に糸車が1つあったら、楽しく糸を紡いでリサイクルでき、ごみを減らせます。これからも「物を大事にする心」がつながって、県内でもごみを減らす活動を行うグループができ、その輪が広がることを願っています。
私自身は、100枚製作を目指します。 |
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2008年4月27日 (日) 毎日新聞
みんなの広場
20年で古布団からシャツ79枚
染織家 関ヨシミ (山口市 73歳) |
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私は仕立て屋さん≠ナす。この20年間、糸を紡ぎ、染め、機にかけ、裁断し、ミシンをかけてシャツを作っています。いま79枚目のシャツに取りかかったところです。紡ぐ糸は、お嫁に来た時に持って来た母手作りの客用布団。捨てずに、その綿から作っています。
お客さんはたった一人。私の娘です。古布団から作ったシャツをセーラー服のころから着ています。おばあちゃんの、おかあさんのにおいのするシャツです。その娘も成人し絵を描くことを生業としています。「モッタイナイ精神」が培われたのか、最初の絵本に私の活動を取り上げました。
私はその絵本を持って「古い布団を捨ててはいけませんよ。その綿は良質の糸になります」と、訪ねてくる人に教えています。温暖化に対しては「細い細い糸」ですが、小さな事が集まらなければ「大」にはならない、と思います。 |
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2007年9月6日 (木) 朝日新聞
声
布団綿紡いで世界をネット
漫画家 関己球恵 (山口市 38歳) |
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私の母は72歳で、まだまだ元気です。それは糸紡ぎをしているからです。古い布団綿を糸車で紡いで、糸にしているのです。これはお嫁に持ってきた大事な布団がもったいなくて捨てられないからで、20年も続けています。
母はその糸でふきんや私のシャツを作ってくれました。私はそれをすばらしい仕事だと思い、多くの人に知って欲しくて、昨年絵本を自費出版しました。たくさんの人に関心を持っていただきました。
今年になってその中の1人、新潟県の方から、自作のふきんが届きました。絵本を見ながら糸を紡ぎ、作ったそうです。母も私も感激しました。太い糸でしたが、手仕事にはものを大切にする心が込められています。
糸車で作った糸が、母と私の住んでいる西の京と雪の越後をつないでいるのだなあとつくづく思いました。日本中、いや世界中が古布団の綿の糸で結ばれたらどんなに幸せだろうかと思いました。
この度の記事は、娘・己球恵によるものです。新聞投書デビューとなりました。 |
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2007年5月9日(水) 読売新聞(東京本社版)
気流 読者のページ
「もったいない」で布団からシャツ
無職 関 ヨシミ 72(山口市) |
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この22年、使い古した布団綿をつむぎ、シャツを手作りしています。工夫すれば何でも再利用できるという「もったいない」精神の表現の一つで、全部で78枚になりました。
1980年、ごみの実態を調べようと、地元の焼却炉を訪れた際、古い客用布団が山のようにあるのを見て再利用できないのかと思ったのがきっかけです。わが家にも結婚の時に持参した母手作りの客用布団2組があり、布団綿をつむいで糸にし、ふきんや手ぬぐいを作りました。その後、試行錯誤を繰り返してできたのが第1号のシャツです。
打ち直した綿を薬草で染めたり、機織り機で織ったりして、シャツに仕上げるまで約3か月かかり、年にできるのは3〜4枚です。ほとんどは娘用ですが、えりやカフスボタンもつけて既成品に負けないできばえになっているのがささやかな誇りです。色も鮮やかで、漫画家の娘は「お母さんは着想がいい」と大喜びし、私を主人公に工程を紹介する絵本まで出版してくれました。
母の仕立てた布団を私がシャツにし、それを娘が着て工程を絵本にする─私たち3代の仕事は、モノを大事にする「もったいない」精神そのものと自負しています。今後も、シャツ作りを楽しみたいと思います。
なお、西部本社版には、5月5日(土)に 「もったいない」三代で継承 という記事で掲載されました。 |
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1994年1月19日(水) 朝日新聞
ともに生きる 古着、布団を再生、染織
天然繊維は土に帰る 自然のサイクルと |
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山口市吉田、主婦関ヨシミさん(59)は自然のサイクルを貫いた暮しを続けている。中でも、最近、主婦仲間の注目を集めているのが、天然繊維の古着、布団綿を利用したリサイクル。
結婚間もない昭和38年春、山口大に助手として赴任する夫とともに、東京から山口市へ。当時の助手の給料は月15000円。衣食とも自分で賄うほかなかった。
「だけど、昔はみそも漬物も自分の家でつくっていた。子供は母親が仕立てた服を着ていたでしょう。違和感はなかったですね」
着物が好きだったこともあり、2年間、和裁を本格的に勉強。次に手がけたのが染色。そして、最後に着物用、洋服地用、試し織り用と3台の機械を特注でそろえた。
緯(よこ)糸に古着を活用。古着を細かく裂いて糸につむぎ、織った。その数は、敷物、壁掛け、帯、コート、チョッキ、テーブルクロスなど50点以上。
「綿が取れなかった東北で発達した『裂き織り』という技法。今でも佐渡には残っているし、昔は江戸にも、山口にもあった。ただ完成までに約3ヶ月、手間はかかります」
古い布団も活用する。これは糸につむいだあと、自分で染める。もちろん、草木染め。庭のドクダミやゲンノショウコ、月見草、ススキ、ヨモギ、それにタマネギの皮、クリのシブ皮を染料にする。クチナシ、梅の枝もいい。せん定した木の枝を燃やした灰は最高の発色剤になる。
買う服は天然繊維製品。
「絹や綿なら私が再生出来るし、再生しなくても土に帰る。物質は分解されて土に帰るのが自然のサイクル。今の世の中、土に帰らない物でいっぱいですね」
この思いは食生活にも及んでいる。買うのは、船方総合農場の玄米と牛乳、無農薬栽培のダイズ、ミカンなど。あとは自分で作る。ハム、チーズ、自然酵母を使ったパン、天然ニガリで固めた豆腐、納豆。オカラは調理し、残りは生ゴミとともにニワトリのえさにする。お茶も庭で採集したドクダミやゲンノショウコ。卵は飼っているニワトリが勝手に産む。
野菜は畑でつくる。昨年は天候不順でナスができなかったが、「取れなかったら無理して食べることはない」。冬場、旬でないキュウリ、トマトは食べない。
「昔の食べ物は本当においしかった。その味を自分の子供たちに伝えていくのが母親の役目」。サラリと言った。その言葉に、胸を突き刺される思いがした。 |